Feb 11, 2016

岩根アイスツリー

岩根のドライツーリング
■ ノルマ終了

今日は、岩根アイスに出かけた。とりあえず、アイスも登らなければ、身に着けたものも錆びついてしまう・・・

何かを身に着けると、いつも、次の課題は それをキープする、ということになり、キープするのも、とっても大変・・・。

私は英語が話せるのだが、話せるようになるまでと同じくらい大変なのが、話せるようになった英語をキープすること。

そして、話せるようになるまでの上達プロセスは楽しいものだが、スキル維持ってのは、ちっとも楽しくない・・・

バレエも同じで、習得している間はとても楽しいのだが、習得したスキルを維持する、ってのは、なんだか”ノルマ”ちっくである。

・・・というわけで、今回のアイスは、ノルマ消化。 去年できるようになったところまでは、スキルが戻っただけで、成長したわけではない。

・・・が、それもビレイヤーがいないとできないので、ビレイしてくれるだけで助かるのであった。今日は、6~7本というところ。パンプもなく、愉しく登った。

今日は岩根に行ったら、知り合いがいて、ちょうど良かった。

4パーティいた。全員仲良くロープをシェアし合って登れたのが、良かった。

とても晴れたので、山に行ったら良かったなーな日ではあったのだが・・・

とても楽しかった。

垂壁の人口氷壁の方が自然の滝より難しいような気がする。

ただし、自然の滝は、ほとんどの場合リードが必要だ・・・

リードすることを思うと、色々と難しくなるんだよなぁ・・・

小さい滝であれば、登れるので、小滝が連続するようなルートなら楽しく登れるかなぁ。

今年はリードが課題だ。






■ 若い人

今日は、一緒に行ったのは、大学生。 アルパイン志向の人だったので、話がバッチリあって楽しかった。

志向が同じだと、年齢とか性別とかは関係なく、愉しく話せる、ということなんだろうなぁ。

私は大人になって(つまり大学山岳部ではなく)登山を始めた。ある山の先輩によると、私は最初から、八ヶ岳の全山縦走を目指していたので、アルパイン志向なのだそうだ。そんなことは知らないときから、そうしたいと思っていて、それに名前を付けたらアルパインということなら、そうなのだろう。

大学山岳部でもないのに、嵩じて、アルパインへ行くまでになった。

長野県の山岳総合センターで山を教わったが、結局、講習は数回のことで、独学した、というほうが全体的には合っていると思う。

山の世界のギブ&テイクというと、無料でガイド代わりをするこ とになってしまう・・・が、無料でガイド代わりをすることは、山の世界の後退に力を貸すことになり、決して山の世界に貢献することとは
思えなかった。

幸いなことに、私は山の師匠に個人的つながりでつくことになり、1年ほど師事する機会を得た。このことには本当に感謝している。

現在も、良き師に恵まれていると感じている。良き師すぎて、私が行けるところよりも、行くところが難しすぎるのが悩みなのだが、そんな悩みは、自分がスキルアップすればいいことなので、贅沢な悩みかもしれない。

ここ最近は、若い人と行動を共にすることが多い。

考えてみると、40代は30代とはまだ感性が近しい。が、30代と50代はちょっと感性が遠いかもしれない。となると、ちょうど世代の橋渡し役みたいな感じかもしれません。それに、女性なので、取り付きやすいという点もあるかもしれない。

これまでも会の内外問わず、片手には収まらない人数に、リードフォローや懸垂などの基本のロープワークは、自分が初心者で教わったことを教えてきた。

次の人に教えない人には、山の技術は教えないことにするべきかもしれない。自分は教わるだけで、次の人に教えないのはなぜなのだろうか?

教えることができないというのは謙遜のようでいて、実は謙遜ではないかもしれないと思うのだが・・・。誰だって普通に見れば、流動分散も教科書通りの事は分かるわけだし、ビレイも色々と書かれたことがあるのでわかる。何がダメか、何が良いかくらいは分かるものだ。

これが正解だ、こうしろ、というのではなくても、スクリューを打つときは腰で打ち込むと、打ち込みやすいなどは分かる知恵だろうし、タイオフも懸垂もセカンドのセットも基本的なところは、取説を押さえれば、分かるはずだ。

結局、独り山岳部をここ3年やっているような感じだ。

それも、私は師匠に恵まれたので、そのことから、山の世界に恩返ししたい、という気持ちが原点になっている。

組織と言うものは、まず組織を存命させることが命題になってしまい、大事な、組織を組織として束ねるものが不在になり、組織ありき、組織の継続だけが至上命題になってしまう。人は生きるべきだが、生きているだけで幸福とは言えない。組織は存続すべきだが、存続するだけでは価値があるとは言えない。

組織というものは、例えば、自国至上主義、愛国主義のように、それ自体へ持つ愛着が高すぎると、少々不安な要素を感じさせられる。ある種の胡散臭さ、がある。

国のために死ねと言われた若者を思い出す・・・家のために我慢しろと言われた嫁を思い出す・・・ハイルヒットラーを思い出す・・・

ので”組織への愛着、撞着”は現代においては、両刃のつるぎと感じさせられる。組織は一人歩きを始めるものだからだ。

というので私には組織というのは、ちょっと胡散臭いものに思える。かと言って登山は一人では行いにくく、メンバーは4人くらいがベストだ。

人と人との関係が希薄になる中、4人を集めることの難しさを思うと、現代は少々滑稽なほどだ。


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